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タロッティスト小町が運営している、タロット占い全般のブログです。
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今回は哲学的になりそうです。
哲学とは、「人生とは何か?」「生きるとは?」「愛とは?」「人間はなぜ死ぬか?」といった人生の根源的な命題に対する回答を記したものです。
「言葉」で定義するために、その定義に使われている「ことば」も定義しなければなりません。まさに「定義」の二乗・三乗・四乗・五乗・・・倍の繰り返しとなります。
また物語性はありません。
よって、難解。何を言っているのかわからない。
という文章になりがちです。
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そこでできる限り易しい言葉で今メルマガのテーマを語りたいと思います。

まず「魂」とはなんぞや?
という命題から始めましょう。

心理学では「理性=顕在意識」「深層心理=潜在意識」という大ざっぱな心の分け方があります。

しかし「魂=潜在意識」ではありません。

この話は非常にスピリチュアルな要素を持っています。
ロジカルに語れない。もしくはロジカルに語る意義が無い。とでも表現しましょうか?
論理学の対局と言っても間違いではないでしょう。
といって形至上学とも言えません。
形至上学とは、簡単に言えば「宗教」「信仰」の学問ですね。

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本題に戻ります。
「魂」とは人間が生まれながらに所有している霊的な心身に働きかける見えない意志(力のほうが正確な表現でしょう)のことです。
ただし、生まれながらに持っていても、赤子の時代ではまだ素のままです。
素のままでも美しいのですが。
なぜなら、余計なもの、手を加えていない純粋なものだからです。
よって、「魂」は赤子の時代から社会的な経験を積むことによって、
「成長」「進化」する場合も、
「堕落」「退化」する場合もあります。

「霊的」という言葉の定義は、
霊感とかエクソシズムとかオカルティズムとかは一切、関係ありません。
「霊感」は「透視」とか「チャネリング」とか、この世に存在が証明されていない何かを感じる・・といったことですね。
「霊的」という定義は非常に言葉で表現するのが難しいので、例えで説明しましょう。

「天と地と一体化になっており、同時に天地から完全の独立している・・」
言い変えれば「天地に完全に支配され、同時に完全に自由である」という事が肌で感じる。
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「自分の中に一筋の光が走っているようなイメージ」
「喜怒哀楽という感情、視覚・触覚・臭覚・味覚・触覚という五感を超越した認識」
「逆に感情も五感も全てが入り交じっているような認識」
「理解・分かるという言葉では無く、暗闇にパッと光が射すようなイメージ」
「自分は例え両親も兄弟も親戚も友人も居ないとしても、一人では無い。守られている。という感性」
「例えば森に入っている時に、全てが視野に入り、同時に葉の一枚の葉脈まで見えるような感性」
「色即是空・空即是色の境地・悟り」
※これは般若心経ですが、自分が五感で感じている全てのモノは、実は無い。ただの思い込み。単なる大脳への電気信号に過ぎない、と一端、自分の認識を全否定します。何も無いのだから執着する対象も無い。よって煩悩が生じる事も無い。この境地に達したあとで、自分の周囲の世界を再度、「観たり」「聴いたり」と五感で感じてみる。すると今までは見えなかったものが見えてくる。聞こえなかった声が聞こえる」という境地のことです。

と思いつくままに例を挙げてみました。

この、論理的には解釈出来ない認識力を「霊的」だと言えるでしょう。
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「魂が震える」とは「感動」という言葉が一番、近いでしょう。
ただ「感動」は、一次的なものです。映画を観ている時、その瞬間は感動して涙します。文学を読んでいるその時は、感動で鳥肌が立ちます。しかししばらくすると、日常の平常心に戻ってしまいますよね。
「魂の震え」は一度経験すると、生涯に渡り、継続します。

タロッティストも含め、それを志す者、また人生を幸せに生きていこうとする者は、「魂の震え」を経験しなければなりません。しかもできるだけ多く。
そのためには、実体験・芸術に触れる事以外に方法はありません。

■追記■

前述の記事で、タロットと芸術の関係性を語ってきました。
また芸術の観方・聴き方・感じ方も語ってきました。

今後の「追記」では、本日のテーマのように「魂が震え、魂が涙する」芸術を、ご紹介していこうと思います。
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「映画」→「音楽」→「文学」→「絵画」の順にご紹介させていただきます。

あくまでも私自身の主観です。
また公の評論や批評とはまったく別次元な紹介かもしれません。
すべて魂から発した言葉を語りたいと思います。

読者の民様が、まだ「ご覧になっていない」「お聴きになっていない」「お読みになっていない」ならば、
私の言葉の琴線に触れたなら、これをきっかけに「観て」「聴いて」「読んで」「鑑賞」してみていただければ幸いです。

また、すでに存じ上げているならば、ちょっと視点を変えてみて再度、味わって頂ければこの上無い喜びです。

では今回は「映画」です。
映画のメリットは「映像」であるということです。
すなわち「物語性」+「芸術性(音楽なんかそうですね)」+「五感(少なくても視覚と聴覚を使います。映画館に行けば、椅子の感触(触覚)、ポップコーンの味や香り(味覚・臭覚)と全五感を使えます)
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つまり幕の内弁当なのです。
なんでも少しづつ入っています。

このことから、一本の名作映画を観れば、芸術を堪能しながら、物語(文学)を映像として味わえます。

逆に短所は、この「映像」なのです。
どうしても2時間という限られた時間内で余すこと無く、表現することは不可能です。
浅いんですね。
事実、「ロード・オブ・ザ・リング」はご存知ですよね。
Part3まであります。
しかし小説でトルーキン原作を読むなら、全6部構成で文庫で12巻にもなります。
読めばわかりますが、映画よりも詳細に描写されています。

しかし名作映画を観ないより観るべきです。そこから、発展する可能性があるからです。
音楽へ。小説へ。というように。

◆今日のお奨め映画◆
『オーケストラ』監督ラデュ、主演アレクセイ・グシュコブ、メラニー・ロラン

これから観る方のために、あらすじは簡単に控えます。

”名門オーケストラの元天才指揮者が、ひょんなことから昔の仲間を中心にオーケストラを再結成し、かつての栄光を取り戻そうと奮闘する姿をユーモラスに描いた感動音楽ドラマ。主演はロシアを拠点に活躍するアレクセイ・グシュコフ。共演に「イングロリアス・バスターズ」のメラニー・ロラン。監督は「約束の旅路」のラデュ・ミヘイレアニュ。
 ロシアのボリショイ交響楽団で劇場清掃員として働く中年男アンドレイ。彼は30年前、この楽団で天才指揮者と持てはやされ活躍していた。しかし、共産主義の当時、国がユダヤ人排斥の政策を強行、ユダヤ系の演奏家たちも例外なく排斥されることにアンドレイらは反旗を翻したことから、解雇の憂き目に遭う。以来、再起の機会を窺いながら、冴えない現状に甘んじていた。そんなある日、パリの劇場から届いた出演依頼のファックスを目にしたアンドレイは、とんでもない考えを思いつく。それは、彼と同様に落ちぶれてしまったかつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成し、ボリショイ代表として夢のパリ公演を実現させようという突拍子もない計画だった。こうして、タクシー運転手、蚤の市業者、ポルノ映画の効果音担当など、様々な職業で生計を立てていた仲間が集まり、いざパリへと乗り込む一行だが…。”(シネマオンライン)

この作品は人生の重荷を表現しています。
ラスト10分では衝撃の秘密が明らかになります。
重荷は主人公のマエストロ、アレクセイ・グシュコフが演じるアンドレイ・フィリポフの30年に渡る人生の重荷です。
そして頑なにメラニー・ロラン演じるアンヌ=マリー・ジャケを招待バイオリニストに選ぶのか?そこにはブレジネフ政権の「圧政」に屈した男の敗北感と、あることへの罪悪感を同時に30年も背負っている背景があったのです。
また、彼と共に居た演奏家たちも、それぞれ、音楽家としての人生を諦めています。
しかし・・チャイコフスキー バイオリン協奏曲を指揮し始め、オーケストラが奏でられると、アンヌのソロに共鳴するが如く、天才的なオーケストラが蘇るのです。それには、もちろん訳があるのですが。

私がこの映画を観たとき・・
ラストシーンでは実際の涙が出ませんでした。明らかに感動していることは確かです。涙は出ていないのに泣いていることがわかりました。そうです。魂が泣いているのです。彼らの人生の重さ、そして愛に対して。永遠性のある名作ですね。


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